すかんぴん

お前の話は長いねん。ただのバラエティです。

子供というのはこどもなのです。

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長文嫌いだけど、ちょっくら長いよ。

こどもたちはなぜ「責め合う」のか。 - スズコ、考える。

観察ではなく。自分の子供の頃を思い出さないのかな?と読んでて思いました。

 

というエントリー記事を読んで違和感を覚えて、このようなコメントをしました。それでも何か引っ掛かりが出来てしまって仕事中も悶々としてたら。

 

↓彼が私の言い足りないものを的確に書いてくれた。

お前は俺ちゃうんかい - ←ズイショ→

言い足りなかった事を書いてくれてる。誰もが、いきなり大人になるわけではない。

 

まったく彼の言う通りで自分ではない他者の存在は他の子供らであれ、親であれ、先生であれ幼い時から認識してるし、思うように考えるようには行かないのが人の世だな。と腑に落ちました。(それにしても、私は口語体が好きなんだな。文語体ばかりでは疲れる。)

 

遠い遠い昔。(スターウォーズのオープニングみたいな言い方にも飽きた。)

スズコさんのエントリー記事を読んで、観察という文字から若い時にNHKのドラマ人間模様『ぼくは12歳』というドラマを観た時の悲しさを思い出したのです。

みるくうさぎのブログ:岡真史『ぼくは12歳』

↑この方が断片的に説明してます。

ドラマでも出てきますが、彼の母親は教師です。故に児童心理学を持ち出して彼を観察し接していたドラマだった記憶があります。実の子供ではないのか?何故?愛情を持って接してあげられなかったのか?母親も悩んで心理学なるものでしか解決しないとみたのか?それが、結果、自殺という選択に至ったのが同世代の子供心に私は多分、悲しかったのだと思います。(最後の彼のシーンを未だに覚えてます。団地の階段の踊り場で泣くのです。ただただ自分が何故?自分なんだ?と問いただし、うずくまり泣くのです。)その後、彼は12歳という若さで自殺するのです。(実在した人物です。)

 

『今の若い子は・・・』どの世代でも聞かれる言葉です。今の時代で言えば、一言目には今の子は「面倒くさい。」という無気力感があるかもしれません。確かに世代、世代で生きてる環境も違えば取り巻く大人たちも感覚や考えは違うとは思うのです。逆に未発達な子供らはいつの時代も「大人はわかってくれない。」と嘆いてるかもしれないけど、ちょっとだけ自分らが子供の時も思い出して下さい。私が連呼して最近の若者は。と話してると年配の友達はエジプトの落書きの話をして今はお前の年齢が大人になって自分が若かった頃を忘れてしまったからそんな事ばかり言うのだよ。と私を諭したのです。

驚愕の事実!「最近の若者は」というフレーズは古代エジプトのときから言われていた - NAVER まとめ

 

連続テレビ小説 花子とアン Part1 (NHKドラマ・ガイド)

彼女が女性らしく、小説『赤毛のアン』が好きで毎回このドラマを観てるそうです。私は好きではないので知りませんでしたが、小説『赤毛のアン』は大人になってからも続くのですね。(男なので憧れはトム・ソーヤの冒険ハックルベリーフィンの冒険の方が好きなのです。)彼女があまりに話題にするので、再放送の方をお昼にチラッっと観る事にしました。たまたま、観たその回は家が貧乏でお昼ごはんのお弁当が無い生徒の女の子が雲を美味しいお米に空想して食べるのを花子先生も自分の子供の頃を思い出し(空想の翼)、自分のお弁当のおにぎりを分け与えるのですが。その様子を見ていた他の先生がこのように後で花子先生を叱ります。『他にも貧乏な子はいる。先生はあの子に自分の弁当を毎日分け与えるのですか?一度あげたものをあげなくなるとどうなります?余計にお腹がすくのです。中途半端な同情は本人にとっても酷です。教師という立場のする事ではない!』(違ったかな?)海外に行けばストリートチルドレンがたくさんいます。気持ちはわかりますが、この先生のお叱りはもっともです。この辺を語ると本題からはずれますので機会があればいずれ言及致します。(私の彼女はアレは他の先生の花子先生へのただの意地悪だよ。と申しております。)話は続きまして、他の子がもしも、空をも飛べる空想の翼があるのなら高い屋根の上も恐くないはず!と煽り、その女の子は意地を張り。屋根の上を歩いてみせます。(彼女曰く、小説『赤毛のアン』にも出てくるシーンだそうです。)結局、花子先生が代わりに屋根の上を歩いて見せようと屋根から落ちるという結末なのです。(美輪明宏のナレーションが良い。

 

でですね。最初に戻りますけど、責めあう子供たちって自分らが子供の時もそうではなかったですか?(このドラマのシーンのように。)今の子供たちだけ?観察してるとその殺伐としたものが面白かったですか?責めてるわけではないのですよ。承認欲求も確かにあった記憶があるし、保父さんのアルバイトをしてた時もそのような子供たちもいたのです。あぁ、保父さんのアルバイトで思い出しました。他の女性の先生やお手伝いをしてる親御さんに男性の意見も聞きたいと相談されたっけ。内容は発育障害をもつK君をどう思うか?特別扱いした方が良いか?だったのです。その時返した言葉がこのような感じだったと思います。『考え過ぎじゃないですかね?言われなきゃわからないし、あの子笑うし。意地悪されたら泣くし。他の子と引き離すよりみんなと一緒の方が楽しそうですよ。それでいいんじゃないですかね?』

 

子供は残酷なまでに悪魔のように。そのまんまを言います。私も子供の頃、交通事故で指を無くした隣の女の子に『お前?なんで指無ぇんだよ!』って。確か意地悪されたので腹いせで言ってはいけない。ってどっかで言ってはいけないとわかっていながらも、売り言葉に買い言葉のように言ってしまった記憶があります。(その後、両方の親の計らいでたっぷり一緒に遊ぶ時間を作って貰ったので仲良くなりました。)また、保父さんのアルバイトをしてた時。大人げないぐらいに子供らと汗をかいて遊んでいると「先生暑くない?」とハンカチを差し出す女の子が天使のような優しさも見せます。つまりですね。責めあおうが優しさを見せようが、どちらも私らが子供だった時のように人間の子供なのだ言いたいのです。難しく考えてあれやこれやと子供と接してたらいけないと思うのですよ。頭でっかちな大人や心揺らぐ大人(正確には人間。)は幼い子供といえども察しますし見透かします。

 

偉そうにたくさん述べた事をお詫び申し上げます。

『死して屍拾う者無し。』という時代劇の台詞をカッコイイと憧れていた少年はいつしか雁字搦めで身動きの取れないオヤジになり果て、そのうちヨイヨイじいさんになるか?無縁仏扱いで埋葬されるかもしれませんが。これだけは言わせて下さい。

 

子供と接する親御さん、教育関係の皆さんが観ておられたら覚えておいて下さい。

 

子供は未来です。

 

人間が人間として接してやって下さいませ。

 

 

五才の頃 中島みゆき - 歌詞タイム

 
五才の頃 みゆき - YouTube

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